2012年2月11日土曜日

SGRA

エッセイ275:羅 仁淑「延坪島砲撃事件に際して韓半島を憂える」

延坪島は韓国戦争休戦1ヵ月後に引いた海上の境界線(NLL)によると韓国領であり...

エッセイ274:ボルジギン・フスレ「ウランバートル・レポート2010年秋」

9月1-2日にウランバートルでおこなわれた国際シンポジウム「第二次世界大戦のア...

エッセイ273:葉 文昌「アジア留学生受け入れについて」

皆さんこんにちは。 アジアの学生の受け入れについて私の考えを述べたいです。 最...

エッセイ272:マックス・マキト「社会システムの多様性を守ろう:マニラ・レポートinハノイ2010年秋」

ベトナム航空の機内では、発表用PPT資料の準備で必死だった。2010年10月28...

えっせい271:孟 子敏「アメリカ印象記(後編)」

やり方は若干変りましたが、アメリカが土地を略奪するのはまだ続いています。それほ...

エッセイ270:孟 子敏「アメリカ印象記(前編)」

0.はじめに ハーバード大学での研修のため、2009年8月30日に渡米して、...

エッセイ269:李 軍「同根異枝の日中漢字(その1)数字篇」

自宅の近くにある新小岩香取神社の入り口に「厄祓・地鎮祭・初宮詣、その他祈願執行。...

エッセイ268:林 泉忠「中国は尖閣紛争の勝者になったか(その2 )」

まず、今回の尖閣問題の解決で得たものと失ったものを検証してみよう。今回の紛争が...

エッセイ267:林 泉忠「中国は尖閣紛争の勝者になったか(その1)」

尖閣諸島での漁船衝突事件後に繰り広げられた日中外交戦は、経済力を後ろ盾にした中...

エッセイ266:範 建亭「上海万博がもたらしたもの」

この夏、上海はとても暑かった。気温35度を超える日が一ヶ月以上続き、そのうち...

エッセイ265:マックス・マキト「マニラレポート2010年夏」

今回は、以前マニラのセミナーで取り上げたことがある「田舎のねずみと都会のねずみ」...

エッセイ264:李 鋼哲「尖閣諸島(釣魚島)でトラブル日中の時代錯誤」

尖閣諸島の領有をめぐって、3カ国が対立している。日中両国に加えて台湾も、それぞ...

エッセイ263:林 泉忠「尖閣衝突は日中の『蜜月期』の終焉を早めた」

今回の尖閣諸島をめぐる紛争が予想外の展開を見せている。日本が初めて「法律に基づ...

エッセイ262:オリガ ホメンコ「きれいな服が大好きな私」

私は昔からきれいな服が大好きです。旅先では必ず新しい衣服を買ってきます。そして...

エッセイ261:シム チュン キャット「日本に『へえ~』その5:天気で騒ぎすぎ?」

長年日本に住んでいるので、日本人が天気の話題が好きであることは重々承知していま...

エッセイ260:宋 剛「坊さんとお粥―北京婦産医院に関する雑感(その2)」

ロビーと廊下は「L」字或いはゴルフのクラブの形をしていて、目に入ったのは3列の...

エッセイ259:宋 剛「坊さんとお粥―北京婦産医院に関する雑感(その1)」

冬休みはもう終わりに近い。というか、あと24時間。この一ヵ月半の休みを振り返...

エッセイ258:朱 庭耀「私の父親」

今までに私に一番影響を与えた人は父だ。 父の祖父は清朝末期の知識人だったが、父...

エッセイ257:方 美麗「今までに私に一番影響を与えた人に」

その人は母という名の女性なのだ。 母は戦前に生まれ、小学校に進学するその年に戦...

エッセイ256:ニザミディン・ジャッパル「私の人生に一番影響を与えた人―マリア先生」

1967年、中国で「文化大革命」が始まり、知識人は農村での強制労働を課せられま...

エッセイ255:南 基正「平凡だが越えることが出来ない永遠の存在-私の父」

父について書くのは難しい、という。長与善郎が父長与専斎を思うに際して「自慢のよう...

エッセイ254:韓 京子「アデュー!2010 World Cup!」

南アフリカで開催されたワールドカップがとうとう終わってしまいました。といっても...

エッセイ253:シム チュン キャット「日本に『へえ~』その4:賞味期限を気にしすぎ?」

みなさんが日本のスーパーとかで買い物するとき、商品の値札に書かれている数字以外...

エッセイ252:葉 文昌「台湾の大学から日本の大学に移って思うこと(その2)」

○ 授業の雰囲気 今の学科がそうであるように、日本の多くの大学では授業中の飲食は...

エッセイ251:葉 文昌「台湾の大学から日本の大学に移って思うこと(その1)」

台湾の旧職場を3月16日に離職し、島根県松江市に22日に来て、早速住民登録、移...

エッセイ250:権 南希「二度目の『留学』

昨年9月、私は8年間の留学生活を送った東京を離れて大阪に来た。私を待っていたの...

エッセイ249:マックス・マキト「マニラ・レポート2010年春」

「フィリピン人のために死ぬ価値がある」という言葉が刻まれた黄色いゴム製のリスト...

エッセイ248:梁 蘊嫻「私の研究の原点」

今年の3月に、研究室の神野志隆光先生が退官されました。この場を借りて、先生に小...

エッセイ247:オリガ・ホメンコ「ウクライナ人の心を治療する女医さん」

オリガさんの家族は皆医者なので、彼女も自然に医者になった。今や自分の病院を経営...

エッセイ246:李 恩民「人民元切り上げ?中国都市住民の動き」

最近、アメリカ議会やEU諸国は中国通貨・人民元の切り上げを強く要求している。中...

エッセイ245:エリック シッケタンツ「日本式喫茶店」

私は日本に留学したことによって、異文化の中で暮らしはじめた。日本での生活にともな...

エッセイ244:シム チュン キャット「シンガポールの新しい賭け:カジノ!カジノ!」

国内外の富裕層の取り込みを狙ってあの清廉かつ堅物のイメージで有名なシンガポール政...

エッセイ243:イェ チョウ トゥ「テレビから学ぶ日本」

母国ミャンマーではニュース番組を除いてテレビをほとんど見なかった私だが、来日後...

エッセイ242:ダルウィッシュ ホサム「ダマスカスの伝統:ハンマーム(公衆浴場)への誘い(その2)」

  入浴は、身体的・宗教的な清めとして、イスラームの文化に根付いている。イスラー...

エッセイ241:ダルウィッシュ ホサム「ダマスカスの伝統:ハンマーム(公衆浴場)への誘い(その1)」

アラビア語で「ディマシュク」と言い、ジャスミンの町として知られるダマスカスは、...

エッセイ240:葉 文昌「台湾の若者が感じた日本」

2009年12月、台湾の大学の研究室の全員を連れて宮崎で行われた国際学会に参加...

エッセイ239:シェルマトフ・ウルグベック「ウズベキスタンの結婚式」

ウズベキスタンの人々の生活のなかで結婚式の存在は非常に大きい。ここでいう「存在...

★★★SGRAエッセイが本になりました!「われら地球市民~かるがると国境を越える」発売中!

新刊紹介: 今西淳子編「われら地球市民−かるがると国境を越える」 渥美財団15周...

エッセイ238:張 桂娥「新羅千年の都~雨の慶州を巡る冬の旅~(その2)」

空腹を抱えながら午前中の見学プログラムをこなし、午後一時過ぎ、やっとランチタイム...

エッセイ237:張 桂娥「新羅千年の都~雨の慶州を巡る冬の旅~(その1)」

韓国慶州(キョンジュ)で開催される第9回日韓アジア未来フォーラム(2010年2月...

エッセイ236:ナリン・ウィーラシンハ「スリランカにやっと尊い平和が訪れた」

内戦の背景 1983年7月23日、スリランカの輝かしい歴史に汚点が付いた。当時...

エッセイ235:韓 京子「ここは雪国かい!」

今夜も雪です。とにかく今年の冬は寒い。寒いだけじゃなくすご~い雪でした。1月は...

エッセイ234:今西淳子「アジア市民の育成を掲げた留学政策を」

鳩山政権になって、にわかに東アジア共同体構想が語られるようになった。しかし、ア...

エッセイ233:マックス・マキト「マニラ・レポート2009年冬」

今年も年末年始をマニラで過ごすことができた。12月9日、マニラ空港到着後恒例にな...

エッセイ232:オリガ・ホメンコ 「アナスタシア:古い伝統を守る若きウクライナ人」

彼女はジャーナリズム学部を卒業して、今大学院で歴史学を学んでいます。アナスタシア...

エッセイ231:包聯群「はじめてのオランダ旅行」

2009年7月にオランダのユトレヒト大学で開催された第7回国際バイリンガルシンポ...

エッセイ230:温井寛「第3回在日本中国朝鮮族国際シンポジウム」報告

SGRA研究員の李鋼哲さんにお願いして、環日本海総合研究機構事務局長の温井寛様に...

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