uncolored wind: アート・文化
小さい花↑なのに、充分眩しく咲いていた。
「なぜ、人は絵をかくのか?」
わんちゃんが講演をするという案内を東洲館からいただいた。
絵を描くという事が衣食住・・・と同じような感じになっている私。
同業者に「絵を描くこと」が伝わると、
暇人・・・もしくは仕事の手を抜いている・・・と思われることを恐れている。
絵を描いているうちは、仕事も数倍きっちりやる。仕事に集中できない時は、もちろん絵は描けない。
今回、案内をもらって、
そう言えば、どうしてこんなにしてまで、私は絵を描いているんだろうか?
いっそ、やめてしまえば、魂は死んだとしても今より時間は楽に流れるに違いないのに。
・・・と考えてしまった。
考えると、もともと理論家ではないので、理屈っぽい私が大きくなる。
考えれば考えるほど、描けなくなる。
だから、何も考えないで、講演に駆け込む。
何とか参加して、すごく良かった。涙が出そうになったんだけど、会場は笑う件だったらしい(汗)。
描くことは、私にとって「生きる仕事」だったと気付いた。
「絵を描く」記憶を辿る。
初めは、決して褒めない父親が、私のぬりえをけなしたこと。
その年の暮れ、図工で「サンタがやってくる絵」を描いた。
2階建ての家で、実際は家族みんなで寝室に寝ているのに、私は一人だけ2階にいる絵を描いた。
サンタに噴出しをかいて、「どれどれねたかな?」と入れた。
先生はじっくり手にとって見てくれて、「いいね」と笑ってくれた。
そして、中学になって、初めてのデッサン課題があった。
居間で描いていたのだけれど、父が横取りして手を加えた。結果は「優秀」だった。
翌週からは、父の前で絵を描かなくなった。それでも「優秀」のスタンプが付いた。
それから毎週、私は絶対「優秀」を取り続けた。
美術の先生は、私のスケッチブックから「優秀」のデッサンを破いて、学校の準備室のコレクションにしていった。
家に帰っても、見せる作品はなく、スケッチブックは表紙と裏表紙だけになって残った。
自分が必要としていても、その伝え方がわからない甘えベタ。
父にまで「おまえはいらない」と言われた。
講演を聴いて気付いた事は、私は「自分否定」で生きているということ。
なぜにこの広い世界の中で、「私」である必要があるだろう。
素晴らしい人は山ほどいるし、私の毎日などは一人でジタバタあがいているだけの事。
絵を描いていると、自分自身と向き合える。
なりたかった自分、周りにとってこうでありたかった自分、結果的に存在する自分の
ギャップを埋めて、つじつまを合わせて、
「これでいいのだ」などとバカボンのパパさながらに妥協点を見つけているのだ。
・・・ああ、ネガティヴに聞こえるなあ。
まあ、たまにはこういう人生を「全うする人間」がいてもいいだろうさ。
そして、子どもの前に立って、作品を手にとって、そっと頷く仕事に就いた。
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