2012年2月10日金曜日

uncolored wind: アート・文化

小さい花↑なのに、充分眩しく咲いていた。

「なぜ、人は絵をかくのか?」

わんちゃんが講演をするという案内を東洲館からいただいた。

絵を描くという事が衣食住・・・と同じような感じになっている私。

同業者に「絵を描くこと」が伝わると、

暇人・・・もしくは仕事の手を抜いている・・・と思われることを恐れている。

絵を描いているうちは、仕事も数倍きっちりやる。仕事に集中できない時は、もちろん絵は描けない。

今回、案内をもらって、

そう言えば、どうしてこんなにしてまで、私は絵を描いているんだろうか?

いっそ、やめてしまえば、魂は死んだとしても今より時間は楽に流れるに違いないのに。

・・・と考えてしまった。

考えると、もともと理論家ではないので、理屈っぽい私が大きくなる。

考えれば考えるほど、描けなくなる。

だから、何も考えないで、講演に駆け込む。

何とか参加して、すごく良かった。涙が出そうになったんだけど、会場は笑う件だったらしい(汗)。

描くことは、私にとって「生きる仕事」だったと気付いた。

「絵を描く」記憶を辿る。

初めは、決して褒めない父親が、私のぬりえをけなしたこと。

その年の暮れ、図工で「サンタがやってくる絵」を描いた。

2階建ての家で、実際は家族みんなで寝室に寝ているのに、私は一人だけ2階にいる絵を描いた。

サンタに噴出しをかいて、「どれどれねたかな?」と入れた。

先生はじっくり手にとって見てくれて、「いいね」と笑ってくれた。

そして、中学になって、初めてのデッサン課題があった。

居間で描いていたのだけれど、父が横取りして手を加えた。結果は「優秀」だった。

翌週からは、父の前で絵を描かなくなった。それでも「優秀」のスタンプが付いた。

それから毎週、私は絶対「優秀」を取り続けた。

美術の先生は、私のスケッチブックから「優秀」のデッサンを破いて、学校の準備室のコレクションにしていった。

家に帰っても、見せる作品はなく、スケッチブックは表紙と裏表紙だけになって残った。

自分が必要としていても、その伝え方がわからない甘えベタ。

父にまで「おまえはいらない」と言われた。

講演を聴いて気付いた事は、私は「自分否定」で生きているということ。

なぜにこの広い世界の中で、「私」である必要があるだろう。

素晴らしい人は山ほどいるし、私の毎日などは一人でジタバタあがいているだけの事。

絵を描いていると、自分自身と向き合える。

なりたかった自分、周りにとってこうでありたかった自分、結果的に存在する自分の

ギャップを埋めて、つじつまを合わせて、

「これでいいのだ」などとバカボンのパパさながらに妥協点を見つけているのだ。

・・・ああ、ネガティヴに聞こえるなあ。

まあ、たまにはこういう人生を「全うする人間」がいてもいいだろうさ。

そして、子どもの前に立って、作品を手にとって、そっと頷く仕事に就いた。

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