歴史学について―システムとしての国家―: ゲニウス・ロキ
「歴史」学とは、何を書くものだろうか。どうも最近の傾向を見るに、現在では、「史料紹介」が論文に偽装してまかりとおってはいないだろうか。ぼくが学生の頃、「独創性」ということが盛んに言われたものだが(今でもそうか)、明らかに「その史料」を使うだけのためや、当該問題のみにしか有効でない論文が多くなっている印象であった。
信じ難いことであるが、ある事象Aを調べる⇒結論「Aという事象があることがわかった」式の論述が結構あるのだ。苫米地英人さんがどこかに書いていたが、発明とは、道具と用途が一対一対応であってはだめなのである。例えば波板の釘を抜くくぎ抜きは、「そのこと」にしか使えないので「発明」とは言わない。では十徳ナイフはどうか。これはもう少し用途の幅が広いが、ナイフに栓抜きなどをくっつけただけで、これがあるために音楽ライフが豊かになるといった特典はない。
つまり、普通はそこに何の連絡も見いだせないようなところに道をつけるから面白いのであり、首-尾が初めから一貫して見えているものはつまらないと思う。
これを無理やり歴史の話に接続すれば、歴史論文でよいと思われるものは、全く気付かなかった展開へと視点が開かれているものだと思う。
昨年末、上田耕造「シャルル7世の顧問官―フランス王国の転換を導くものたち―」(『西洋史学』第238号,2010.9)を読んだ。彼はこの論文で何を考えようとしていたのだろうか。どこへ向けて問いを開こうとしているのだろうか。彼の問いかけに「乗って」みようとしたとき、われわれはいったいどこへ導かれるのだろうか。
単にある事実を明らかにするのではなく、そこを考えさせるのが、論文における「ナレーション」の技術であろう。自然科学では、すでに主観と客観は分けられないことになっている。ならば、歴史事実とそれを物語るストーリーも、不可分のはずである。このことはすでに、ヘイドン・ホワイトが指摘している。彼は全く正しかったというほかはない。だからかどうか、ホワイトを懐疑主義者と言って、徹底的に批判したカルロ・ギンズブルグの最良の仕事は物語的である(『ベナンダンティ』、『チーズと蛆虫』など)。
上田論文は、15世紀のフランスにおける国制の展開を述べたものである。そこでは、シャルル7世がいかにして顧問官と共同し、「国家」を作り上げていったかという点が眼目となる。この論文はそこへ至る動向をかなり正確に跡づけているが、しかし筆者の意図に逆らって、そこから浮かび上がってくるのは「かたち」の決定した「国家」などではなく、流動的でどのようにも形を変える可能性を持った、あやうい「バランス」なのである。
ぼくは以前、イギリス中世史研究者のアーサー・G・ケイゾー氏と会話した折、氏からジャンヌ・ダルクの時代にフランスという国家の礎が出来上がったとするミシュレ的見解はでたらめである、と伺った。知っている人は知っているあの例の早口でまくしたてたから、ことの詳細は分からなかったが、ミシュレの解釈はロマンにすぎず、実情は流動的で、はなはだ頼りないシステムしかフランスにはなかったのであり、到底「国家」と呼べる代物ではなかった、ということらしい。
上田論文の描き出す顧問官の動向は、まさのこの危ういシステムの一側面なのである。国家とは、一つの虚構である。シャルル7世にはそのことが肌感覚として分かっていたのではないか。だからこそ、顧問官をはじめとする利益共同体の上に立つだけでなく、もう一つの柱を聖性に求めることで、ランスにおける戴冠を果たす。そのバーターがジャンヌ・ダルクであった。
シャルル7世とオルレアンの少女の同時に見た夢が現実となり、あるシステムが離陸してゆくと、少女は元の少女に戻ってしまう。動き出したシステムは、自身の生き残りをかけて、少女を犠牲にする。それはすでに動き出し、バランスのうちにあるために、個人ではもはや手出しができないのである。
この自動で動いてゆくシステムのことを、人々は「国家」と呼びたがる。シャルル7世と顧問官が、何かの機能を果たしたとすれば、それはシャルル7世の思惑が通ったのでもなければ、顧問官たちの目的が一致したためでもない。システムの中に取り込まれ、流れの中へと放り出された結果である。
風海
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