2012年1月20日金曜日

sanmarie*com エッセー&レビュー

子供向けに『奇跡』を歌った、リンダおねえさま↓

携帯の待ち受けに使うと幸福が訪れると言われている↓ んー、でも、周りに怖がられるかもー(^_^;

そういえば、美輪明宏サマがご自身の著書で繰り返し仰ってますね。「この世は修業。一つクリアしたと思ったら、また次の課題が始まる。幸せなんて、階段の踊り場で一息つく、束の間の休息みたいなもの」(全文この通りではないですが)

本当にそうだと思う。

やったー、新しい仕事が見つかったー、年収は1.5倍だ、待遇も最高だ、幸せつかんだー! と思ったら、人間関係サイアク、とか。

やったー、オトコが出来た-、ラブラブだー! と思ったら、重度のマザコンだった、とか。

ほんと、手にれて万歳三唱した次の瞬間には、もう新しい波が始まっていて、またザプンと頭にかかる、その繰り返しだと思います。

そういう意味では、「幸せに落ち着く」なんてことは、一生ないのかもしれません。多くの人が「幸せ」といっている本当の中身は(大なり、小なり、波はあるけれど、トータルすれば・・)が大半でしょうしね。

だから、ドン底の、何もない時期が何年も続くと、下記のような気持ちにもなると思います。

神様はちゃんと見ている・・・そんな経験ありますか?

今、人生お先真っ暗な私です。
年は四十路越え。いろいろあり、もう人生いいことない。挽回できない・・・と悲観。無気力になっています。

このままじゃいけない・・・と思っています。

どん底や悲観を経て、這い上がった方、
早まらずに頑張って這い上がって今幸せです…という方のお話をお聞きしたいです。

そして「頑張った分、神様はご褒美をくれた・・・・」そんな思いのエピソード大歓迎です。

勇気と糧にしていけたらと思います。

どうぞよろしくお願いします・・・。

私が思うに、神様の「スパン(時間の幅)」って、異様に長いんですよ。人間の10年が神様の一ヶ月、みたいな。

ゆえに、人間の願いもちゃんと知ってるんだけども、なんせ時間のズレが凄まじいので、神の業が為される時には人間時間ですでに5年以上経ってた、なんてザラ。

人間の時計で計ったらダメなんですよ。

あちらは、何十億という人間の願いを聞いてるわけだし。

君の頭の上で思い出す頃には、そりゃ、5年、10年ぐらい、軽く経ってると思います。

その時に、願掛けした本人が「もう、それはあきらめました」とか言ったら、「あっ、そ」で次に行っちゃいますよネ。

秋元康も言うてますやん。「努力しながら、自分の順番が回ってくるのを待つしかない」って。

本当にそうやと思います。

だから、「夢はいつか叶うわ。私、絶対にあきらめない!」という小公女ハイジのような純粋な気持ちと、「この世には人間の努力だけではどうにもならない事もある」という曾野綾子的現実的視点と、二つもってね。

いつか自分の頭の上に神風が吹くことを信じて待つしかないんです、家の掃除や会社のルーチンはきっちりこなしながら。

ところで、「山本リンダ」という歌手をご存じかしらね。こりゃもう昭和40年代初期に生を受けたオバサン世代にしか通じないネタなんですけどね。元祖和風レディ・ガガとも言うべき、お派手なコスチュームとお色気で大人気だった方です。

で、この方が、「ジャックと豆の木」というアニメの中で歌っておられたのが『奇跡のうた』。私、レコード持ってたので、今もこの曲のことよく覚えているのですが、この中に、「奇跡なんてどこにもありゃしない~、みんな秘密に隠してるから」という歌詞がありましてね。

これ、本当に、そうだと思います。

自己啓発なこと職業にしてる方は、こういう奇跡の具体例を出して、「だから私の言うことを信じなさい」と著書のPRに使うわけですが、それ以外の普通の人、世間ってものを心得ている人は、本当に奇跡的に得た幸運のことなど、誰にも話さないし、自慢もしません。意地悪じゃなくて、それをひけらかすのがどんなに恐ろしいか、何となく予測がつくからです。

だから、他人の幸運なんて、現実社会で直に聞くことなど、まぁ、ないと思います。親しい友達は別として、更衣室で挨拶する程度の関係でいちいち相手の肩を捕まえて「ねえねえ、私さぁ」なんて告白しない。そう考えると、他人の奇跡的な話に居合わせる確率なんて、本当に一生に一度、あるかないか、だと思います。

もし、あるとしたら、こういうネットの匿名掲示板やブログ。「実は、私、1億円、当てちゃいました」ってことがさらっと書き込める場所。

あるいは、その奇跡的成功が世間に広く知れ渡った有名人のインタビュー記事。

それぐいらじゃないでしょうか。

だから「奇跡なんてどこにもない。だから私は信じない」んじゃなくて、「奇跡に出会った人は、みんな隠してる。私だけがダメってわけじゃないんだ」、それが正解です。

奇跡といっても、100億円儲けたとか、イギリス王室に嫁いだとか、そんな桁外れの話じゃなくて、「こんな私にも心の底から『愛してる』って言ってくれる人が見つかった」とか「限りなく可能性0と思ってた就職試験に受かった」とか、ほのぼのしたものだと思いますけど、それまで血のにじむような思い、死にたいほどの挫折を味わった人なら、「仕事で認められた」というだけでも、十分、奇跡的な出来事だと思いますよ。でも、そんなこと、声を大にして吹聴したりしない。だから、見えにくいんです。

そんなわけで、自分の目に入る範囲で「何も良いことがないから」と、あきらめる必要はないし、腐ることもないです。

神様のスパンは人間のそれよりはるかに長い。忘れっぽい。世界中の人の願いを聞かなきゃいけないので、なかなか順番が回ってこない。

だから、途中で燃え尽きないほどの適度な明るさで歩き続ければ、いつかは「良いこと」があるんじゃないでしょうかね。

自分で自分を見捨てたら、それこそ終わりですから。

いつか、いつか──その『いつか』は永遠に来ないかもしれないけれど、その『いつか』があるから、生きて行けるものだと思います。

そして、奇跡に出会っている人は、あなたが思い描いているより、意外と多いものなのです。

アニメの挿入歌なので、曲調がオドロオドロしいですが、ネガな私とポジな私が葛藤してるみたいで、面白いですよ。
興味のある方はぜひ聴いてみてくださいね。

山本リンダ — 奇跡の歌

よかったらどうぞ↓

幸せが訪れる美輪明宏待受け画像

§ 掲示板トピックスのレスより

神様は自分の中にいる

 10年前まで営業職についていましたが、それはもう筆舌に尽くせぬ色んなことがあり、
何度も体調を壊し、何度も辞めようと思いました。
 それでもなんとか15年勤めたところで義両親の介護のため退職したのですが、

 当時良くしてくださっていたお客さんが今、子どもの担任になったり、仲の良かった病院の
看護婦さんが婦長になり、義母の入院時に担当してくださったり、私に散々嫌がらせをした人が
夫の部下として夫の職場に異動になったりと

 当時の頑張りが今、身を結んだとしか言いようのない出来事がここ数年になって次々起こり、
今の人間関係の幸運さを思うと、あの時頑張っていて良かった!!
と心から思います。

 苦しい時って視野が極端に狭くなりますが、その苦しみが将来の幸せにつながっている!
と私は感じますし、子どもにもそう言い聞かせています。

神様はよそから見ているんではなくて、神様は私達一人ひとりの中にいる。と思っています。
 

小学校・中学校と「どんくさい」「頭が悪い」などの理由からいじめられ、人生の不平等さみたいなものをこのころから強く感じてました。

三流高校に行き、バイト代で塾へ通い、有名大学へ進学。勉強を真面目にやり、学術面で評価され奨学金を得て、専門学校へWスクール・英会話も習いました。
就職氷河期の中、一流企業へ就職し、現在は超一流企業の方と結婚し、あの頃には考えられない穏やかな幸せを手に入れました。

モットーは、「情けは人のためならず」「人間関係から逃げるな」です。

神様にご褒美をもらったなんて微塵も思いません。だったらなぜあの頃助けてくれなかったの?と思います。また、つまらない青春だと言われようとも、楽しく遊んで結果フリーターや派遣社員生活、いい伴侶に恵まれないよりはずっといいとも考えてます。若いうちなんて、人生の一瞬ですから。

人生は、努力でどうにでも変われます。決してあきらめないでください。

小、中ではずっと酷く虐められ、高校は地域差もあり全く肌に合わず、三年間友達もできずに過ごしました。
可愛くもないし物凄い太っていて、もう何も取り柄がなかったんです。

でも、大好きな両親が行かせてくれている学校を休むことなんてできず、九年間皆勤です

小学生から行きたい大学はあったので、小中高での思い出作りは諦め、せめて希望の大学を目指そうとずっと頑張りました。

結果、合格し、希望学科へ進学、
その後大好きな国へ五年程滞在することができ、
全国を廻って見たいものを全て見てきました。

大学の友人は、今は一番大事な友人達ですし
滞在国で知り合った人も、私のレベルにはとても似合わない、素晴らしい人達でした

今は好きな仕事に就き、優しい旦那と結婚して幸せです

小中高の九年間、本当に辛くて、
どんなに仕事で失敗し、怒られても、
あの九年間に比べれば幾らでも堪えられます。

神様は見ててくれているのかな、と思う今です。

引く所と、譲れない所がわかれば、きっと何かいい結果になると思うんです。

毎日を、どうか前向きにお過ごし下さいね

今から20年前に、私は保険の代理店(生保・損保)をやっていました。大きい契約が成立したら、しばらく遊んでいることが出来ると言う。当然、生活も不規則になります。そんな生活が1年ほど続いたある日。私は自分の体に異変を感じました。口では上手く説明できないですが、このままでは、近いうちに死ぬと感じました。そんなある日ドライブしていると道の前を大きい蛇が横切っていました。半分やけくそだったので、引き殺そうか?と思いましたが、いや、そんなことをしてはいけない。この蛇は神様の使いで私をテストしていると感じ、車を止めて、蛇が横断するのを待ってあげました。すると、その後、どなたか から(〇〇地方の湧き水を飲めば、その体調不良は治ります。)と聞いて、その湧き水を頂いて、飲んで治りました。その湧き水のあった場所が不思議な事に、あの蛇の横断していた地方の湧き水でした。あの時は、神様は、本当にいらっしゃるのだなと思いました。以上

すんごい小さいことだけど

職場の飲料の自販機は当たりつきで、払った金額が返ってくるときがあります。仕事がいっぱいいっぱいで、もうヤダ!もうダメ!ってときに、コーヒー買ったら、なぜか当たります。
神様って見ててくださってるのね、と思います。

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